6つの音色に魅せられて

四面楚歌 not a matter

ジャニオタとして生きていく。

帝劇の落選祭りになり、今年の残り現場が0という絶望の中、つらつらと松村北斗くんに落ちていったわけを備忘録的に書いておこうかなと思います。

 

自担です!言い切れない、それも含めつらつらと、ほんと自己満足備忘録的に。

これを話すには、キスマイ担としての話もあるので、そういうの嫌な方は読まない方がよいかもしれないです。

 

 

始まりは小学4年までさかのぼる。わたくしはまだ10歳。

NEWSデビュー少し前。

周りに倣ってMyojoを買いだして、何気なく読んでて、唐突に山下智久に落ちた。

もう今となってはなぜ山Pだったのか思い出せないくらい唐突に。

 

このときは、まだファンクラブに入るなんて想像もしなかったし、やまPかっこいい~~~~すき~~~~ってしているるくらいだった。

それでも、中学に上がればさらに、NEWS派?KAT-TUN派??なんていう時代だったし、野ブタをプロデュースの絶頂期でもあった。

そこからなんとなくのまま、デビューを経て、チェリッシュ発売され、ドラゴン桜を見て、青春アミーゴとともに青春を過ごし、なんとなーくやまP追っかけるだけのファンやってた。

 

そんなとき、中学後半に一旦テニミュ(1st)にどはまりしたのが一回目の転機。

一気に二次元(2.5次元)へ。

ジャニオタ休止・・・というかほんとジャニタレ見るのも嫌!!!くらいに離れた。

 今思えばなんであんなに嫌がったのか。

たぶん、父親の「おい山Pでてるぞ~」っていうからかいが、思春期真っただ中の娘にはいやだったのだと思う。

世のお父さんたち気を付けて・・・。

 

そんな私がなぜジャニオタに戻ったか。

妹のせい。何を隠そう、妹は強火手越担。

(そうさせたのは私のせいなのですが・・・・)

強火パーナの妹が、小山・中丸司会時代の少クラをもちろん見ないはずがない。

はじめはそれを目の前で見てることも嫌だったけど、学校から帰宅して、たまたま一緒に見る機会があった。

それが2回目の転機。

 

画面の中では、Kis-My-Ft2がKis-My-Caliingを歌っていた。

「これメンバーの並びになってるんだよ~」という何気ない妹の一言で、なぜかメンバーの名前を覚えはじめ、それに伴いKis-My-Caliingが頭から離れなくなった。

 

その後からが早かった。

妹と一緒に少クラを毎回見るようになり、FireBeetで北山さんに完全に落ちた。

もう坂を転がる勢いで落ちた。

そのあとはもう、某動画サイトでキスマイの動画を探しては見て、妹が撮りためた少クラをあさり、気づけばKis-My-Ftに逢えるdeSHOWのグッズを買いに広島グリーンアリーナに暑い中並んでた。

 

あんなに反抗期のごとく避けていたジャニーズに戻っていた。

ちなみに、このときA.B.C-ZのVanillaにもやられ、五関さまも並行で推して行くことになるのですが…。

 

そっからはもうキスマイ担として、各媒体の情報を追っかけ、1st写真集も買い、完全にやまPの時以上の熱量で推し始めてました。

この1st写真集のときに、横尾さんにやられ、以来キスマイの横尾担当にいつのまにかシフトとしてた。

 

デビューは嬉しかった。

次の日、涙が出るくらい嬉しかった。

この時、キスマイ担として3年が過ぎていたにもかかわらず、熱は冷めやらず、即ファンクラブにも入会した。

デビューシングルは、全種類コンプリートもした。

 

このままキスマイ担を続けていくんだろうなと、漠然と思っていたし、いまでもそれは間違ってはいない。

今年のYummy魂なんて、名古屋・京セラと計3回も入った。

けっして嫌いになったわけじゃない。

 

でも、シングルはここの所正直買っていない。

(なんと、CDの棚を見たら10作目までしか買ってなかったことに自分でも驚く・・・。)

コンサートのきたみつのスピーチでは泣いた。

でも、7年前の熱量ではない。

 

なぜか。

キスマイのスピード感と格差問題で気持ちがついていけなくなったから。

 

藤ヶ谷さんがデビュー決定の時、「このまま突っ走るから!ついてこいよ!」といった言葉の通り、狭いスパンでのシングルリリース。何種類もある発売形態。セブンとコラボの一番くじ。東京でしかないイベント・・・。

 

つぎつぎと仕事が決まる。嬉しい。

と、同時に、だんだん流れから後れを取り、いまはもう年一回のコンサートだけ行き、アルバムとコンサートDVDだけを買う、そんな状態になってしまっていました。

 

ファンになりたてだった高校生のころから、もうすでに社会人になり、地元も離れ、一人暮らし・・・環境もあの頃と随分変わっていた。

日々の忙しさで買う余裕も、情報を入れる余裕もなくなっていき、さらにいろいろあり、精神的にも体調的にも崩れ、転職するという、もうなんか、狭いスパンで出されても追いかける気力もなくなってたのも原因かな・・・。

一人暮らしの社会人には、正直、なん形態も買う余裕なんてない。

もちろんやりくりしたり、切り詰めたりして、うまいことしている人もいるけど、わたしは器用でないので、どれにしようかなんて吟味するのも疲れ果てて、完全に買うのをやめてしまった。

まぁ、今月きついし、来月でいっか!がたまっていった結果ですね。

 

そして、デビューと同時に、格差問題もあった。

横尾渉担当としては、なぜブサイクに扱われなきゃいけないのか、なぜ同じ衣装を着れないのか、なんでバックダンサー扱いなのかずっと苦しかった。

やっと決まったデビュー。

7人が喜んでて、涙するファンもいて。ほんとにこれから明るい未来しかないように見えた。

 

だから、こんな苦しむ姿を見るためにデビューを願ったわけじゃない。

それでも、ここ最近は、それぞれのキャラも確立され、だんだん格差問題も解消されつつある。

けど、複雑な思いを完全になくなったわけじゃない。

 

そんな中での自担の熱愛・匂わせ事件。 

 

その匂わせ事件の少し前。

去年(2017年)のJr祭りに、たまたま友人を介して知り合ってキスマイのコンサートに一緒に行ったりしていたジャニ友さんからのお誘い。

チケット余ったから横アリ2daysしませんか?と。

 

せっかくだし!と、キスマイデビュー移行あまり少クラ見てなかったから情勢はわからなかったけど、お兄ちゃんたちは小さい頃から・・・それこそほっくんなんて入所2日目の時から見てたし、こーちくんどうなってるのかなーとのんきな感じで参戦したわけで。

B.I.Shadowの隠れオタでもあったしと。

 

初日は天井で、しかも、BADBOYSJに出てたからという理由で、しめさんにしよ~ってうちわつくったのに、まさかの舞台で欠席。

まぁ、明日もあるし、ゆっくり座りながら見ようと、友人と双眼鏡片手に座りながらの観戦スタイル。

 

その双眼鏡内に松村北斗がいた。

 

胡坐ですわり、悪な感じで歌い始めた6人。

鳥肌が立った。

圧倒されるってこういうことなのかなと実感した。

羽の舞う中で、Amazing!!!!!してる6人は、もはや私の知ってる6人ではなかった。

堂々と横アリをSixTONESの色に一瞬で染め上げて。

声が出ないって間隔も初めてで。

 

もうこの日の記憶ほとんどない。

わちゃわちゃしてるほっくんも、外周まわるほっくんも見たはずなのに記憶がない。

それなのにホテルに帰ってからも、次の日になってもほっくんが忘れられない。

ホテルでは慌てて近くのダイソーで材料を買い、気づいたらほくとのうちわを作ってた。

 

あー落ちたわ。

余談だけど、一緒に入った友人も、もともとはあらしっくだったけど、阿部君に落ちてた。

 

2日目は、アリーナ2列目。

もう目の前を通るほっくんを探す私。

反対側の背中を見つめる私。

ひたすらほっくんを追いかける双眼鏡。

 

2度目ましてのAmazingで、やっぱり完全に彼らに落ちた。

 

”お前らを絶対裏切らないから”

”ついてこいよ”

 

おちるしかないと・・・落ちたのは必然とさえ感じる。

最近ではあまり感じてなかった、ギラギラ感と自信に満ち溢れてて。

なん形態も買うスピード感に疲れてた私には、ひさびさの高揚感とも何とも言い難い、だけどわくわくもしてて。

 

その帰り道、即情報局入会。

 

そこから、またまた某動画サイトでSixTONES松村北斗を探す日々。

何か現場があれば、あべ担になった友人と現場へ行く日々。

 

年1回しかないキスマイの現場と違って、いろんなデビュー組のバックにはじまり、舞台、自分達のコンサートと、現場にあふれていることもこの時知りました。

 

毎日が楽しくて。

現場に行くことを糧に頑張る日々。

あんなに情報を入れるのすらおっくうになっていたのに、積極的に調べる日々。

 

今年は誰のバックにつくかな?

Jrのうちわ一応持ってた方がいいかな?

舞台あるから合わせたネイルしようかな?

 

初めて舞台のためにネイルも行ったり、ほっくんカラーの服も買ってみたり。

たのしくてたのしくて、キラキラしてた。

 

そんな中での、自担の熱愛、匂わせ発覚。

個人的には、プライベートでルールの範囲内で分からないようにしてくれるなら、恋愛もすればいいと思う。

でも、匂わせしたり、ファンをあおるような人間は許せないって考えなのです。

 

横尾さんは雑誌やいろんなところで、礼儀がなっている人、ちゃんとしている人好きと言っていた。

だからきっと横尾さんが好きになる人なら、しっかりした人だから大丈夫ってどこかで思っていた。

 

でも、初めて発覚した熱愛は、SNSで匂わせる彼女。

しかも、仕事の情報や、プロデューサーと会ったと書いてあった。

チケットも流してた。

 

どこまでが本当のことかわからない。でも。

裏切られた気持ちでいっぱいで、それを裏付けるように、ツアー初日新潟では、ファンサをしない横尾さんがファンサしまくってたと。

さらに、禊とまでいわれたファンサは新潟だけ・・・。

 

広島で見た横尾渉は、いつもと変わらずうちわちらっと見るだけ。

いつもならうれしいのに、なんで?ファンを大事に思ってくれてるっていうのは嘘なの?雑誌の言葉嘘?なんであんなこと容認してるの???

 

横尾渉への熱量が下がっていくと同時に、日々の生活は松村北斗ばかり。

 

すでに落ちてる自覚はある。

優先順位も正直、SixTONESの方が上だったりもする。

もうほっくんのために有休を使い、写真を買い、舞台も行く。

でもTwitterとかのプロフは担当:横尾渉、推し:松村北斗、五関晃一のまま。

 

10数年追いかけてきたのに、ここまできて降りたら・・・そう思うとふんぎれない。

もう推すとか推さないとかじゃなくて、キスマイが人生の一部で・・・。

それをなくせなかった。

降りますっていう勇気もなかった。

 

でも、2017年少年たち松竹座公演。

2列目で、松村北斗にファンサをもらった瞬間、もうスト担だ、SixTONESがある限りついていこうって決心できた。

 

キスマイ担降りしたわけではない。

もうキスマイは、横尾渉は、推すとか推さないとかじゃない。

熱量はあのころと変わってしまったかもしれないけど、それは飽きたのでは決してない。

 コンサートにだって行くし、ファンクラブもきっと更新し続ける。

 

でも、SixTONESをデビューさせてあげたい。

6人が目指している、見たい景色へ連れてってあげたい。

 

こんなに鳥肌が立つくらいのパフォーマンスを、素敵な楽曲たちを、ただ過去のものとして埋もれさせては勿体ない。

 

キスマイは7周年を今年迎えた。

きっとまだまだ、このまま走り続けていく。

わたしが止まってしまった分だけ離れて行ってしまう。

 

でもSixTONESと一緒に、未来を夢見たい。

同じ目線で、デビューに向けて、

彼らがもういいよって言うまで、今度こそ、ともに走り続けていきたい。

 

冬のキスマイのコンサートはもちろん応募してある。

帝劇は全部落選。

 

それでも、欲張りかもしれないけども、わたしはジャニーズエンターテイメントが好きだから。

一周回ってジャニー喜多川推しって言われるくらいジャニーズが好きで、10歳のころから踏み入れてきた人生だから。

 

俺足族で、SixTONESのオンナ。

ジャニーズが与えてくれる夢を見続けたい。

 推す形は違えど、愛がある限り、ファンを名乗っていたい。

 

 

それでは長々と失礼しました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。